2018年の若者の日韓交流会IN KOREA








日韓青年交流会 “過去と未来を繋ぐ希望” 体験談

 8/108/155日間の日韓青年交流会が、セルヴィエヴァンジェリーの企画で再度実現できたことを嬉しく思ったのと、今後もこの企画が末永く続いて欲しいと思いました。
日韓青年交流会は全てのことがどれも印象深く残っていますが、最も印象に残った体験は、2日目の木川教会の信者の方のご家庭訪問と3日目の独立記念館に行った事です。
2日目の家庭訪問は、正直私達日本人の若者が訪問しても良いのだろうか心配していました。実際に日本統治下にあった頃に戦争体験をされているので、私達日本人が来ることでその頃の記憶が思い出されて嫌な思いをされるのではないかと考えていましたが、嫌な顔一つせずむしろ歓迎して下さいました。食事まで用意して下さり、韓国文化や韓服を着てみたいという話題になったら快く韓服を着せて下さり、プレゼントしてあげるとまで言って下さいました。そして家庭訪問の時間が終わり、お別れの際は「愛している」という言葉もかけて下さいました。日本に対して複雑な思いをまだ抱いている中で、私にこのような言葉をかけて頂いたことに、本当に感謝と感動を頂きました。
3日目の独立記念館で見たものと、その後教会で分かち合った体験は今までの日韓青年交流会では経験したことのない内容で、正面から日韓の歴史問題と向き合い、自分がその歴史と向き合って得た気づきについて考えさせられました。分かち合いの中で、私含め日本人の青年達は旧日本軍がしてきた酷い仕打ちを謝罪しましたが、韓国の青年は、若い私達が謝る必要はない、ここで共に涙を流しているこの時間が素晴らしくて神様の恵みが与えられていると言われた時は、全て胸の痞えが下りる感覚がし、独立記念館に行ったからこそ韓国の青年達とより深く交流する事ができたと実感しました。
3日目の夜はホームステイをし、レオ家にお世話になりました。レオさんは教会の青年を引率する仕事をされており、若者の活動に理解がある方でとても温かい方でした。英語が得意ではないので私日一人でのホームステイは最初は緊張しましたが、そんな心配はすぐ吹き飛んでしまう程、レオ家の奥様は気さくで優しい方で、中学生の娘さんとも会話ができて本当に楽しく家族のような時間を過ごすことができた。
4日目の夜のトークショーでは日韓の青年たちがそれぞれ持つ悩みや、信者の視点から一般社会を生きる事について意見を述べたりインタビューを聞いたりした。私は信者の立場から、この日本社会で生きることの難しさや悩みなどを分かち合った。インタビューを聞いていると近い国だからこそ共通点もあり身近に感じることもあったが、日本の人口に対してカトリック信者は0.4%しかいない為、韓国よりも日本の信者の方が一般社会での生活と信仰生活とのギャップに生き辛さを感じ安くなっているように思いました。
この交流会の間、日々の生活からは得られない幸せと神様からのメッセージを沢山いただいたと思います。ホームステイでお世話になったレオ家、5日間ずっとお世話になった木川
教会のフィリポ神父様、ダミアン神父様、サンジャ神学生、そして韓国の青年達、全てに感謝の気持ちをもう一度送りたいのと、多くの出会いと気づきを与えて下さった神様に感謝し、私の行動を持って神様の期待に応えられる人でありたいです。そして、日本と韓国の青年達が隣国同士、兄弟愛を築いていく過程で過去の痛みが洗い流されることを願います。
安奈


私は今回、日韓青年交流会に参加して感じたこと、体験したことについてお話しさせていただきます。
   今回のプロジェクトはキリスト教を通して、日本と韓国や他の国の人と交流し、日本と韓国の国の間の問題についても考えることができました。ホームステイや家庭訪問などもさせていただき、普通では体験できないことも体験しました。
   まず、韓国の教会のミサに参加させてもらって思ったのは、国によってミサの雰囲気が違うということです。形式は同じではあるけれど、日本や私が以前ポルトガルで参加したミサとはまた違う雰囲気でした。特に印象的だったのが、アーティストさんを呼んでのミサは最初はとても不思議でしたが、素敵な雰囲気の中で参加することができました。
   そして、このプロジェクトでは日本と韓国の間のことについても触れました。初めて慰安婦の資料館に足を運びました。ガイドの方が私たちに泣きながらお話ししてくださっているのを見て、被害を受けた方々がどんな思いをしていたのか、私たちはそれにきちんと目を向けていたのだろうかと自分自身が今まで慰安婦の問題から距離を取ってしまっていたことをとても反省しました。この資料館で学んだことはイエス様にも重ね、皆で共有しましたが、みんなの言葉ひとつひとつに心が込められていて、あのお祈りはとても意義深いものになったと思います。
   そしてなにより、今回、韓国、スペイン、ポルトガル、ポーランド、モンゴルなどの、たくさんの友人達と共に生活を送ることでこのプロジェクトは成立していたと思います。国同士が争ってはいても私たちは思いを伝えあって、言語が違っても一生懸命に伝えようとし、辛かったときはそばにいてくれました。ホームステイ先でもとても良くしてくださり、自分が憧れていた韓国の家庭を楽しむことができました。
   最終日、みんなで輪になって"made for a mission"を歌いながら泣いてしまいました。みんなから、たくさんの大きな愛をもらった分、別れるのがとても寂しかったのだと思います。私たちは国も言語も住んでいるところも違います。それでもたくさんのことを共有してお互いを知って絆を深めることができました。私がこれに参加する機会を与えてくださった神様に感謝しています。

世翔




今回の日韓青年交流のミッションで私の記憶に残っているのは教会に司教様がきてくださった時、独立記念館での体験と海美城に行った時の交流、そしてホームステイです。

日記から :木川教会にナザロ司教さまがきてくださり、御ミサをしていただきました。初聖体もあり、一緒に遊んだ子供達の姿が見えて心からお祝いしました。お昼は司教様と食べることができて、嬉しかったです。同じお皿からキムチや惣菜を食べるのも嬉しく思いました。私がキムチが好きと言うと、もう一つキムチの入ったお皿をとってくださり嬉しかったです。
日記から:今日独立記念館で知った慰安所の数には驚きました。ガイドさんも泣きながら最後は説明してくださって、一緒に行った韓国の友達は、私達が泣いているのを見て苦しくなったと言ってました。夜に教会に戻ってみんなで祈り、分かち合いをしてからはなんだか一歩進めた気がしました。
海美城で近くに住む人に会って話したのは印象深いです。まず、一人の男性がwelcomeと言ってくれて、自分の抱いていた韓国への複雑な気持ちが取り払われました。他の話は何を説明してくれていつのかわからなかったけれど心は通じたと思います。海美城の近くの殉教者のための記念館は4年前は教皇フランシスコも来た場所です。そう思うと、とても嬉しかった。
今晩はホームステイです。さっき、お母さんと娘さんと日本の統治についてと私達が今までお互いの国にどう感じていたか話しました。
そして主の祈りを一緒に唱えました。お母さんにわかのとお揃いのロザリオをもらって、嬉しいです。
ホームステイ先でカトリックの家族の生活を少し体験できて、すごく幸せに感じました。カトリックの家に生まれて、信仰を中心に生活できることはどんなに恵まれているだろうと思います。
日記から:トークショーで、洗礼を受けることを話したら宣教師や神父もSkypeで参加したいと言ってくれました
夜は、食あたりにあったスペイン人の女の子の面倒を見て、同じ部屋で寝ていたのですが、彼女は私をお母さんのように感じたと言ってました。実は同じ部屋になったのは偶然でしたが、私はお仕組みだと思いました。彼女は夜中になっても、朝になっても、洗礼式には行くからと繰り返し言ってくれました。本当に来てくれたらびっくりです
キリスト者になることは、必要以上に歴史にかかわって人と関わるから、辛い思いもすることを選ぶことだと思います。ホームステイと分かち合いを通して、許し許されたような感じがします。

この時間を通して、韓国が好きになったし、神様を通して、輪がひろがった強い繋がりを感じます。
よく、海外に行くと帰りたくないと感じるけど、韓国語を勉強したり、祈りたいという思いが強いです。
政府にはできないけど市民レベルでできることは大事だなと思います。帰国後も、セルヴィーのメンバーであるエステルの世界宣教の日に合わせたビデオチャレンジに参加させてもらったりしています。全体として、このミッションは自分とシステムとしての教会を近づけてくれて、クリスチャンとしての生き方や感覚を教えてくれました。
七海




 今回のミッションに参加を決めた理由は、昨年インドネシアで行われたAYDに参加し、とても実り多い経験をしたからでした。せっかくの夏休み、そしてまだ自由な時間がある今のうちに、昨年のように異国の地に行って、普段とは違う体験をしたいという思いからでした。しかし、正直ミッションの内容も詳しく知ってはいなかったので、韓国には昔旅行で行ったこともあり、最初お知らせを読んだ時は、あまり乗り気ではありませんでした。ですが、何かの力に導かれるように参加を決めました。
 韓国が昔日本によって侵略されたこと、そのために今もなお日本と韓国の関係がギクシャクしている、そのことは日々の情報からもちろん知っていました。ただ、私はそこまで詳しく過去の歴史についても知らなかったし、なぜいまだに韓国の人々が謝罪を求め続けているのかがわかりませんでした。私には韓国人の友達がいます。しかし、やはり多くの韓国人の人は日本人に対してよくない感情を抱いているのではないかと思っていました。
 韓国の空港に降り立って、そこのコンビニで買い物をした時、店員の男性が、私が日本人だと知ると日本語でお話をしてくれました。そこでまず私の緊張の糸がほぐれました。その後木川教会で韓国のメンバーと合流し、みんなが温かく出迎えてくれて、本当に安心して嬉しい気持ちになりました。その後も私たちは韓国の人たちに本当によくしていただきました。宣教会のメンバーはもちろん、教会の人たち、ホームステイ先の家族。多くの人の愛と優しさを受けて、私はとても幸せでした。
 ミッションの具体的な内容や目的については、韓国に行ってから知ることになりましたが、私はミッションを通じて、日本と韓国の間に起った過去の出来事について、そして韓国の人達の感情を知ることができました。私たち日本人は歴史的事実をほとんど学ばないまま学校を卒業してしまいます。ずっと問題になっている従軍慰安婦の問題について、私はようやく本質を学ぶことができました。韓国に対する反発ばかりが強まる今の日本社会の風潮の中では、私は元従軍慰安婦の女性たちや、戦争の犠牲になった人々の想い、彼らが本当に求めていることを知ることはできませんでした。今回のミッションに参加したおかげで、私はようやくそれを知ることができました。
 和解をするというのは、決してお金の問題だけではありません。過去に起こった事実を認め、共通認識とし、そして話し合いをすすめていくということだと思います。今回のミッションを通して、神様は私に、韓国と日本の間の和解の道具になるように、そして韓国の人々の真実の想いを知るようにと、私を派遣したのだということがよくわかりました。国と国の間ではなかなかうまくいきそうにありませんが、少しでも私たちが再びよき隣人になれるように、私は努力していきたいと思います。

 またこのミッションを通じて沢山の人々に出会えたことも本当に素晴らしい神様のお恵みでした。神様と皆様に感謝です。
Made for a Mission in Koreaに参加して
愛子



韓国感想文
 「正しい歴史」と言われると、正直自分には頭が悪すぎて難しい。立場や環境によってものの見方は違うし、切り取り方でいくらでも色合いは違ってくると思う。
 だから、日本で教わることが総て正しいとも思えないし、逆に韓国で訪れた独立祈念館の展示が100%真実だとも思っていない。正しい歴史という言葉はどこかウソがある気がする。今を生きる自分たちが歴史を通してできることは、相手の思いを知ること、それを未来に活かすこと、じゃないかと考えている。殉教の歴史を知って、今ある教会の生活に感謝すること。占領と戦争の歴史を知って、人の痛みや憎しみあう辛さを感じること。平和な世界を一緒に夢見て行動すること。
 自分が旅や巡礼に出る目的は、日常に戻って自分の世界・心を大きくすることじゃないかと感じる。いつだったか、あるシスターが「巡礼のゴールは日常に戻るところにあるのよ」と言っていた。クラクフのWYDでも教皇は「この美しい街に集まって留まることがこの巡礼の目的ではありません」と説教していた。
 セルヴィの企画も含め、韓国に行くたびに韓国が好きになれる。現地で人と知り合いが増えるにつれて、とても温かい気持ちになれる。地図を広げて韓国を見れば、思い浮かぶ人の顔がたくさんある。知識としての国ではなくて、「友達が住んでいる国」として自分の気持ちが豊かになっていく。そういうとき、自分はとても幸せを感じることができる。逆に韓国の人々も、今回日本人と出会うことで、日本をより特別に感じるようになってもらえたら嬉しいな、と思う。
 歴史、殉教、日常の悩みなど、輪を囲んで分かち合う時間が沢山あったが、心を開いて交わる関係が出来ると、お互いの立場を気遣いながらも正直な自分の気持ちを伝えられるし、また共感してもくれる。食事を一緒にするとき・最後のパーティーのとき、とても喜びでいっぱいだった。
こういう瞬間に接する時、遠い昔の殉教者のことを思い浮かべる。海美(Haemi)という殉教地を訪れた際、殉教者たちのボロボロの歯が顎型に並べてリアルに展示されていた。日本では穴吊や火あぶり、打ち首などで処刑されたが、韓国では大きな一枚岩に何度も打ち付けられて絶命したのだそうだ。悲惨な最期を思うと胸が引き裂かれそうになるが、彼らは実はとても幸せだったんじゃないか、と直感した。エステル(セルヴィの宣教師)の話だと、韓国のとある主人がキリスト教に出会って、奴隷に対する慈しみが芽生え、それが奴隷たちの心も動かしていったのだとか。
 殉教する直前、彼らはキリストの出会いを通して心からの人々との絆があったのだと思う。その時間はとても幸福だっただろうし、それは韓国での私たちの出会いの体験ととても重なって映った。
 最終日にななみが「今日で別れることは自分にはそれほど辛いとは感じない」と話していた。同感。自分も延長線上にある日常で、人と交わる喜びを広げていけたらと思う。それも形を変えた「宣教」だと感じる。
 



この企画の中で仲間を通してたくさん神さまを感じ、また、自分の中に変化を感じた。日本と韓国の歴史を振り返るとき、そこにはどちらかだけでなくお互いに苦しみがあるが、それも含めて「神さまの視点で、日本人と韓国人が共に歴史を振り返る」ことは簡単ではなかった。5日間、その歴史の中にも神さまの愛はあったのか、一生懸命考え祈り求めた結果、私は神さまの愛をもっと信じたいと心から望んでいると気づき、大きな喜びに包まれて日本に帰ってくることができた。より、神のみ旨にかなう生き方ができるよう、受洗の準備をすすめようと思った。
こんな感じで、いろんな人に韓国で感じたことを伝えようと思ったけれど、想像以上に友人や生徒たちに今回の気持ちを、「伝わるように」話すのはすごく難しいと感じた。実際生徒には、「先生、それ洗脳だよ」と言われてしまって、あんなが彼氏に言われたように傷ついた。私たちは、自分たちだけ(すでに神さまを知ってそれを信じている人たちだけ)のことを考えたり祈ったりするのではなく、それを広める、派遣されることに大きな意味があるとイエス様を通して教えられているけれど、本当に困難ばかりだ。くじけそうになるけれど、フィリポ神父がプレゼントしてくれたお祈りの本と、シークレットフレンドであるマテオがくれたロザリオと、待ち受けにしている集合写真で、少なくとも私は、一人でいてもいつでもあの時の気持ちを思い出せる。アラが話していたようにほかのいろんなことを優先しがちだけれど、最近は以前よりお祈りする時間をちゃんと確保している。そのことだけでも、神さまを喜ばせられるようで痛いと思う。
もう一度みんなに会いたいし、もう一度独立記念館に行きたい。あの時は混乱しながら見たから、落ち着いてもう一度見たい。ニュースで首脳会談の様子が報道されているのを見て、私はすごく感動した。まだまだ国同士の口約束に過ぎないかもしれないけれど、確実に良い未来に向かって前進しているような気がして、もっともっと勉強して朝鮮半島の南北の問題なども韓国のみんなと一緒に考えたいと思った。
だから、(年末の飛行機高かったけど)また会いに行きます。
すみれ

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