"It's not too late"






8/19-24、私は日韓青年交流会に初めて参加しました。日本から10名、韓国から12名の青年、宣教師そして神父様が集まりました。前半3日間は長崎市・後半2日間は下関市に滞在し、ミッションを行いました。彼らと過ごしたのはたった5日間ですが、ここでは書ききれないほど濃い時間であり、どんな瞬間も今となっては私を支えてくれる宝物です。
ここでは、特に印象に残ったことや深く考えたことを、皆さんにお話ししたいと思います。

①『愛のかたち』
長崎の『日本26聖人記念館』には十字架にかけられた一人の木造模型が展示されています。館長さんによると、彼が十字架にかけられたのは33歳、イエスと同じ歳であったことに幸せを感じながら、最後に『私は秀吉を許す。』という言葉を遺して亡くなったそうです。それを聞いた時、私は彼の考えが理解できませんでした。心身ともにこんなにも傷つけられているのにも関わらず、人を許せるのは一体何故だろうか。彼に問いかけるように、しばらく見つめていました。すると、『許すことこそが愛なのだ。』そう言っているような気がし、スッと心に風が通った気さえしました。私の中で新たな愛のかたちが生まれた瞬間でした。

②『もう一つの、日本』
下関には100年程前から朝鮮半島の方々やその子孫の方々が生活している地域があります。私たちはその地域や港の周りを、ガイドさんのお話を聞きながら実際に歩きました。そこで耳にしたことは私の心に突き刺さりました。学校では決して習わないこと、周りの誰も教えてくれないこと、でも知らなければいけないこと、色々な歴史と感情が混ざり合い、足取りが重くなることも多々ありました。加えて、社会人にもなって何で知らなかったのだろうと恥ずかしい気持ちになりましたが、この交流会のテーマ"It's not too late"の通り、私がこれらを知るべき瞬間は今だったのだと信じています。
③ 『あなたはどう生きるか』
今回見学した様々な記念館の写真や模型、街中の銅像、そして教会のイエスやマリア様を見つめる度に『私はここでこう生きた、あなたはどう生きるか。』と問われているように感じ、それは頭の中でこだまのように響き続けました。考えれば考えるほど答えは遠のくように感じましたが、考え抜いた末、私は『言葉の力』を平和の道具にしたいと思いました。
私は今、日本語の他に英語、ポルトガル語、スペイン語を話すことができます。これら4ヶ国語の習得を通して感じるのは、言葉で表すことは自分の心を見つめることであり、言葉を交わすことは自分が生きている証を示すことだということです。そして、言葉を豊かにすることは、生きていく上での選択肢を増やし、自分だけでなく誰かを救うこともできるのです。
今まで、無意識のうちに誰かと比べては自分の未熟さに肩を落とすことが多かった私ですが、神様から『言葉の力』という大きなプレゼントを頂いたことに気がづきました。
神様からの愛とお導きに心から感謝し、今日この日を一生懸命に生きます。

最後に、今回の日韓青年交流会を企画してくれた日本の皆さんに、日本に来てくれた韓国の皆さんに心からの『ありがとう』とともに大きなハグを送りたいです。



高校生のころから大学生まで、様々なご縁で「日韓交流会」と名の付く会に毎年のように参加してきました。就職してからは教会の集まりには足が遠のいていましたが、今回は地元山口での開催ということで、お手伝いもかねて参加させていただきました。
私は母から、母が幼いころ当時の在日朝鮮人の方が多く住む地域のすぐ近くに住んでいたという話をよく聞いていました。母は「当時お母さんからは行くなと言われていたが、とにかく他と違った雰囲気があって、純粋に興味があった。学校を休んだ友達に給食のパンを届けるために、その地区に行くのが楽しくてたまらなかった」と話していました。そのこともあって、自身も大学では在日の友達も何人かおり、私の中で“在日”ということに対して、差別的な印象はありませんでした。それは同時に今回まで“在日”について無知であったということでもありました。
今回、フィールドワークで下関の町をガイドしてくださった方の話を聞きながら歩いたことで、これまで自分の故郷が「無かったことにしてきた」歴史の傷をたくさん目の当たりにしました。国によって隠されてきたとはいえ、こんなに近くで生まれ育った私がこれまで全くこの事実に触れてこなかったということに恥ずかしさと罪悪感がありました。この事実をどう受け止めたらいいのか、混乱と苦しみの中で歩きながら、ふと目をあげたときに前を歩く参加者のTシャツにプリントされた「It’s not too late.」という言葉がありました。今回の日韓のテーマであるこの言葉に、そのとき希望を感じました。私がこれまでそうであったように、この歴史の傷のことを知らずに生活している人が日本にたくさんいる。そんな中で、私は気づかせてもらえている。これまで行われたたくさんのことは消えないけれど、今こうしてここにみんなといることには大きな意味がある。下関の町を歩いた日の夜、みんなとこの日一日の事について分かち合ったとき、「この傷に向き合うとき、私たちは決して一人ではない」ということに気づきました。翌日に中井神父様の分かち合いを聞いて、イエス様が傷を負って十字架にかけられている姿をみたとき、私たちもこの傷を抱えたまま、傷とともに生きていくことができるのではないかと思いました。
今回の日韓交流会は、在日朝鮮人の方々の傷、故郷の傷、この事実を知った私たちの傷、さまざまな傷に触れた機会でしたが、そのすべての傷を背負うイエス様とともに生きていくことが私たちのアイデンティティなのだと気づく機会にもなりました。今回傷に触れたときに感じた神様のいつくしみやあたたかさを忘れずにいたいと思いました。
最後に、今この日韓交流会を開いてくれたセルヴィのみなさん、下関にきてくれたみんな、下関でかかわってくださったみなさんに感謝いたします。


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